館長の思い

1960年代に入り高度成長が始まると、日本列島は官民あげての建設ラッシュに沸いた。03-01-01 東京オリンピック準備中の東京は地下鉄、高架道路等の工事のため、道路には仮設覆鋼板が敷き詰められ、「東京の道路は鉄でできている。さすが金満国だ」と外国人観光客に言わしめて、苦笑をかったこともあった。
建設業者や建設機械(以下“建機”に略称)製造販売メーカーは大いに潤うはずだったが、一気にそうはならなかった。
需要に見合った能力を有する建機が不足し、あっても高価だったり、運転者不足で賃金ばかりが上昇し、外野から見るほどのことはなかった。
ほどなく、国内建機メーカーはこぞって欧米の先進建機メーカーとの技術提携に走り、競い合って新型建機を市場におくり、国内の需要に応じ始めた。

昭和44年、私は福岡市で開催された日本機械化協会主催展示会を視察した。

03-01-03新型建機がメーカーごとにズラリと並んでいたのは圧巻だったが、とりわけ驚いたのは、美女を乗せたスクレープドーザ(メンク)が会場内をデモンストレーションする光景だった。 それは初めて目にする機械だった。
やがてフランスのシカム社と技術提携した三菱重工業が掘削機の商標Y35をyumboの商品名で売り出すや業界の脚光を浴び、後々には、他社同機種のバックホーやパワーショベルまでも“ユンボ”と呼んだ伝説は、いまだに健在だ。

当時活躍したヒーローの建機たちは、すでに40~50年を経過し、後期高齢機となった。
余力のある建機は、中国、東南アジア、アフリカ方面へ輸出されて外地で最後のご奉公、足腰の弱った建機はスクラップにされた。
結果、高度成長時代に国土の背骨となるインフラ形式に貢献した建機は、日本から日に日に姿を消しつつある。
わたしたちが失った建機は、もうこの世に甦ることはない。
仮に復元はできても、その建機は血も通わず、汗もかいていないからロウ人形みたいなものである。

add01-03-03欧米で開催される世界的建機展示会場には、百年前の建機を動かすサービスがあったり、建機ミュージアムでは蒸気機関発明後の建機史の流れが実機と共にわかりやすく説明されていたりと、手を触れて楽しむことができる。
かたや日本では、建機のミュージアムは皆無に等しい。写真やCDで当時の勇姿に接することはできても、自らの感覚で立体的にとらえることはむずかしい。
だが、そこに実機があれば、たとえ動かない建機であっても、ハンドルやレバーに手をやることで伝わるものが必ずやあるのではないか。
それがここに実機を置きたいと思った大きな理由である。シビルエンジニアを目指す学生諸君は、先輩技術者の工夫と熱意に、すべからく敬意をいただくであろう。
建機と共に日常をおくり生活を支えてきた世代には、オペレータとして活躍した当時を思い浮かべて淡い感動にひたっていただきたい。そして子どもたちには大いなる夢を育んで欲しいと、心から願うものである。

03-01-04