資料室

WORKPOWERは我々の側にある
workpower
日本軍の攻撃は、パイロットの質、射撃力、空中戦において非常に優位に立っていた。
日本の勝利は当初は驚くほどに早かった。しかし、彼らには一つの弱点があった。
飛行場や防衛施設をつくるために早くに占領した島(ガダルカナル島)で、飛行場を建設するには、つるはし、ショベル、かご、小さな人力車など、あまりにも稚拙な道具であった。

 

連合軍の味方は、時間のハンディを打ち砕く頑丈なアメリカ製の土木機械のパワフルな仕事ぶりであった。

 

アメリカの海軍高官は、ジープと貨物機と共にトラクタタイプのディーゼルトラクターを、三つの最も優れた戦争用武器とよんだ。重い任務に対しこれら万能の武器が我々戦闘員に一度のみならず幾度も勝利を与えた、ドイツ軍も日本軍もまたこれに匹敵する装備を持っていなかったためだ。

 

大型ディーゼルのオペレーター達は、パールハーバー後の恐ろしい11週間で、オーストラリアの島基地へ救命鎖を構築し、アラスカを守るために即座にウムナックに爆撃用飛行場を準備した。

 

ブルトーザーのことを彼らは疲れを全く知らない機械と呼ぶ。設営部隊員は母国への手紙の中でその名を使っている。従軍記者やラジオコメンテーターは、ブレード付きブルトーザーやブレード無しブルトーザー、キャタピラー付きディーゼルトラクターを戦争用トラクターとした。また、戦地最前線で活躍中のブルトーザーのことを聞いたら、それらは「Caterpillar」社のディーゼルトラクターの可能性がある。
さらに、頑丈な「Caterpillar」社のディーゼルモーターグレーダーは、世界中の軍用道路や空港を造成工事している。「Caterpillar」社ディーゼルエンジンと電気的なセットは、海軍と輸送船のスタンバイ電力として、パワーショベル、クラッシャー、コンプレッサー、起重機、電灯・ラジオ・冷蔵庫の発電機の役に立っている。また、「Caterpillar」社のディーゼル船舶エンジンは、タグボートや小型船舶を動かしている。
WORKPOWER(戦闘力)が勝利を呼び込んでいる。

 

※広告絵は、日本軍のガダルカナル島空港へ侵攻した連合軍施設隊が空港整備作業の状況と思われる。右下方にブルドーザーで排除される日本軍のツルハシ、シャベル、人力車の車輪、カゴなどが散見される。
吉丸泰生 訳
戦時広告
インターナショナル・ハーベスタ社 / アリス・チャーマーズ社
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戦時中、建機メーカーは自社製品の活躍ぶりを新聞や雑誌に広告を出した。太平洋戦争に臨んだ日本陸海軍は建機の重要性に目を向けず、悲惨な結果をもたらした。 日本軍がガダルカナル島に多くの設営隊員と時間を費やした滑走路がほぼ出来上がった夜、米軍の攻撃を受けた。 米軍は直ちに建設機械部隊を投入し、鉄板敷きの滑走を完成させた。

 

建設機械の重要性を無視した日本軍

 

太平洋戦争開戦後は有利に戦いを進めていた日本軍だったが、無計画な戦線の拡大に伴い、
兵站は伸びきり、勢いを盛り返した米軍の反撃にあい、兵士・兵器・食糧の補給に支障をきたしていった。
 ミッドウェー海戦で壊滅的敗北に終わった日本海軍は、新たに前進航空基地が必要になり、広い平坦地があるガダルカナル島に飛行場を建設することにした。
 昭和17年7月上旬から、海軍設営隊(労務者)約2,600人がツルハシやスコップをふるい、モッコで土の切り盛りをしながら滑走路造成に汗を流した。
 土木工事の機械化を重要視していなかった日本は、人海戦術に頼るしかなかった。
 約1ヶ月かけた滑走路が完成する寸前にアメリカ海兵隊は攻撃をかけ、日本の戦闘機が駐機するのを拒んだ。上陸した海兵隊は、爆撃で穴の開いた滑走路に、ブルドーザー・グレーダー・ロードローラーなどの土木機械を持ち込み、ただちに整地を完了すると、鉄板を敷き込み、戦闘機や爆撃機の離着陸を可能にした。
 人力(精神力)と機械力(科学技術・工業力)の差は歴然としていた。

 

 足元にアメリカ製の玩具が転がっている。戦争前後の時代に製造されたこの土木機械玩具を見て驚くのは、玩具の鉄板の厚み、大きさ、リアリティ、そして機械の種類の多さだ。
 その頃、日本では南方からの資源供給が停止し、家庭のナベ、カマや寺の梵鐘まで軍に供出させられるような事態だったのである。負けるべくして負けた太平洋戦争であった。
 敗戦後の国造りは、戦勝国アメリカの中古土木機械の購入からスタートした。
 産業のコメといわれる電力不足に対処するために、水力発電所建設が急務となり、佐久間ダム・御母衣ダム・黒部ダムなどが、アメリカの指導とアメリカの建設機械で短期間で完成し、昭和30年代以降の高度成長へとつながっていった。

 

館主 吉丸 泰生

 

太平洋戦争時の日本軍の建機に対する認識とアメリカ建機の実力
日米開戦前にアメリカの日本大使館付武官たちが、アメリカの土木機械を見学する機会があった。
キャリオールスクレーパーを見学した武官たちは、どんな働きをする機械なのか全く理解できず、そのまま太平洋戦争に突入したのであった。
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1935年に開発されたルターナ社のキャリオールスクレーパー
1938年にアメリカの天才的な土木機械発明家R・C・ルターナは160馬力、積載量38㎥のモータースクレーパーを開発した。
同社は、太平洋戦争中にキャリオールスクレーパーや空挺部隊用小型モータースクレーパーなどを含めて12,000台余りを生産している。
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1938年に開発されたルターナ社のモータースクレーパー
1941年アメリカ政府は、自動車の新車発表を禁止、農機の製造制限をして、全ての工場を軍用に転換した。
フォードは爆撃機、キャデラックは戦車を生産し、農機メーカー、建機メーカーは戦車、爆撃機の部品製造を命じられている。 キャタピラー社はケーブル式ブレードを装着したD7に限って、年間1万数千台のペースで陸海軍に納入した。これは上陸用舟艇に乗る最大のブルドーザだった。
インターナショナル・ハーベスタ社は、海軍用に小型、中型のTD-6とTD-7のブルドーザ、陸軍用にはTD-14型とTD-18型の大型ブルドーザを大戦中に数千台製造し戦地へ送った。ビザイラス社はTD-6~18型の油圧ブレードの製造供給をしていた。
アリスマチャルマ社は大型の10Wブルドーザを1760台製造し、ソロモン諸島で滑走路を建設するアメリカ海軍工兵隊シービーズなどに供給していた。 同社産業機械部門は、原爆開発のマンハッタン計画にも参画していたのである。
クラーク社は、C47輸送機に分解せずに搭載できる重量1.9トンの空挺部隊用小型ブルドーザCA-1を1100台製造し戦地に送った。
この他に、ユーグリッド社はモータースクレーパーとオフロードダンプトラック、オースティン・ウエスタン社はモーターグレーダ、ノースウエスト社はパワーショベル、ビザイラス社とP&H社はクローラークレーンなど軍に納入していた。
これら大戦中に生産されたアメリカの土木建機は6万台以上に上がったと云われている。
日米の建機の差は歴然としており、そのことは戦況につながっていったのである。
2010年9月建設資材情報「太平洋戦争前後の日米建機」参照

 

「アノ キカイ」は何をする機械か!?

太平洋戦争中の日本軍は、南方進出と同時に、各地各島に飛行場を建設することになった。
しかし、建設機械と呼べる程の機械はなく、本土から送り込まれた作業員が、スコップ、ツルハシ、モッコなどの道具を使い、人海戦術で工事を行った。

ニューギニア・飛行場建設に協力の原住民ニューギニアにおける飛行場建設 米軍は機械力を動員したが 日本軍はすべて人力だった

 

海軍が「ブルドーザ」の威力を知ることになるのは、占領したウェーク島だったと伝えられている。
1942年(昭和17年)5月、占領地に派遣された設営隊が人力で飛行場を整備するのを見ていた米軍捕虜が飛行場のかたわらに置かれたままになっている異様な機械を指し「アノ キカイヲ ワタシタチニ アタエテ モラエバ スウジツデ カンセイ デキル」と言った。
「アノ キカイ」がどんな仕事をするのか見当のつかなかった日本軍人が半信半疑でやらせてみると、数名の米軍工兵がくわえ煙草で「アノ キカイ」を動かし、予定通り完成させたという逸話が残っている。「アノ キカイ」なる「ブルドーザ」の威力を目の前で見せつけられた日本軍人は「技術と作業速度にこれほどの彼我の差があれば戦争は負けるだろう」と内心悟ったという。

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アメリカ・キャタピラー社が戦地におくり込んだケーブル式ブレード装置D7型ブルドーザ
爆撃後に工兵隊が乗り込んで整地作業を行っている

 

「飛行場設営隊」は、太平洋戦争中に、飛行場建設や、修復工事を任務として編成された。ソロモン諸島での戦いが激化するに従い、制空権確保の為に飛行場の確保と整備は、国家の命運につながった。

ラバウル・行進する飛行場設営隊。昭和17年
ラバウル西通りを行く海軍の飛行場設営隊 彼らは軍人ではなく”工員”とよばれた。
ラバウルでは2千余名が戦死した

東条首相は「米軍は一週間で飛行場を完成させるのだから、我軍は3日でできるように研究 せよ」と激を飛ばし、本土で建設中の柏飛行場を舞台にして軍、官、民共同の研究が始まった。
1943年(昭和18年)2月に「野戦飛行場設営の参考」と題するマニュアルが作成配布され、甲乙丙の三種に編制された。

 

 

 

 

 

 

甲編制は、定員数700人の機械化部隊で伐開機、農作業伐根機、ダンプカー、トラック、転圧用ローラー、削岩機など多数の建設機械が装備されるとこになっていたが、実態はマニュアルとかけ離れた数少ない配備だったという。

太平洋戦争 ニューギニア戦線 密林を開く飛
ガダルカナル島で飛行場を建設する海軍設営隊。
ツルハシやシャベルなどの手作業で森を切り開いた。

乙編制は定員数149人、機械類はけん引車2両、トラック15両、転圧ローラー2台、シャベル90本、ツルハシ250本を定数とし、必要に応じて現地人を1000~2000人雇用する計画だった。丙編制は南洋では採用されなかった。

飛行場設営隊は、建設機械の性能不足に加えて材質も悪く、運転経験も乏しい上に、熱帯気候も重なり故障続出で期待された成果はあげられなかった。
伐開機は椰子林には歯もたたなかったという。
反面米国では、1941年に戦時生産局が、キャタピラー社だけでも、ケーブル式ブレード装置D7ブルドーザを年間1万数千台のペースで陸海軍への納入を指示していた。

 

 

 

 

 

 

 



※写真参照 太平洋戦争⑤消耗戦 編集長 星川 武   株式会社学研マーケティング
      碑なき墓標     編集者 奥村芳太郎  毎日新聞社